明治28年の作で、漱石が赴任した愛媛県尋常中学校(松山中学校)現在松山東高等学校に小ぶりの句碑がある。
この年 従軍として大陸へ行き、帰途船中で喀血した子規は、須磨で三カ月ほど療養した後、八月に松山に帰り4月に松山に赴任していた漱石の下宿に転がり込んだ。
子規はこの時に、松山の俳句仲間を集めて句を作り、漱石も加わる事となった。
五十日ほど松山で過ごした子規は、10月19日に上京するが、その時に漱石にこの句を与えたのである
行く我は・・・子規自身
とゞまる汝は・・・漱石である
子規は故郷を離れ、漱石は子規の故郷にとどまるが、ともに二人二様のそれぞれ秋を過ごす事になるだろうと言うお互いの身を思う友情の句である。